便利な復興住宅はもうできていたはず ー痛みを伴う決断に踏み切れない日本の政治・行政は今後も続くのかー |
2013.1.19 サイトマップ |
1,はじめに 少し思い切った判断をすれば、被災半年後には便利であった津波被災地で、津波に耐え、地域の事業と人々の暮らしを支える高層住宅の建設に着手でき、一部の建物はすでに完成して、人の活動がもっと活発化していたろう。震災からもう2年経とうとしているが、復興のスピードは遅い。 2,被災地の特性を考慮した、実施が容易な緊急方策を行うべきであった 津波被災地の復興街づくりとして区画整理事業が行われることになる。しかしこの事業は、人が居住する家が混在する地域で、様々な意向を持つ地権者をできるだけ尊重して行うものである。この方式で行けば、実際の建設事業に入れるのは数年後になってしまう。 建築物が一掃されて、更地に近い状況であり、しかも同じ家を建てるのは無理であるので、とりあえず、安全性が示された高層住宅を作って、入居を希望するある程度の人々に入ってもらって、仕事と暮らしの基盤とし、あわせて区画整理事業を進めていくようにすべきであった。津波被災地はもともと海岸近くの便利な場所であるので仕事や生活に適している。高齢化が進んでいるため被災者の多くはローンが組めないため新規住宅建設が難しく、公営住宅のような負担が少ない住居にしか居住できないであろう。被災地に住みたくないという人も多いであろうから、あわせて高台の住宅地を用意していけばいい。 被災地に高層住宅を建てるのは場合によって地権者の同意が必要であるが、家が流され、て何もない状況であり、同じ場所に従前同様の建物を作ることはできないから同意も得やすかったことと思われる。被災地のかさ上げも今後考えられるが、高層住宅は1階の床を現況地盤から2〜3m程度と少し高くして、建物前にスロープを作っておけば今後のかさ上げに簡単に対処できる。 復興の業務や地場産業に便利な事務所スペースも不足しているので、3階くらいまでは事務所にして、上層階を集合住宅にする手もあった。 3,危険地域の指定 津波被災地域は早期に危険地域に指定して、建築制限をしなければいけないのであるが、あまり進んでいないようである。 実際に津波被災地域の境界線あたりから、これまで同様の戸建て住宅などの建設が始まっている。今後なし崩しにこういう建物が増えて行くであろう。 4,東海・東南海地震津波想定地域でどうしていくのか 津波対策の緊急性は近いうちにやってくる東南海等津波危険地域の方がずっと高い。危険地域を指定して、津波によって流され、漂流して危険物になる低層建物の建築を禁止する建築制限は建築基準法や、津波防災地域づくりに関する法律によって法制度的に可能である。この方法が一番効果的で社会の負担が少ない。 危険地域に住む住民にとってはきわめていやなことであるが、他に方法はない。 これを思い切れずにずるずると引きずっていったら大津波に対処できない。 5,いつまでも大きな悲劇をを繰り返していくのだろうか 安全に関して少々の痛みを伴う大きなことを決めきらない日本の政治行政の非力さは江戸時代から続いていて、大火が頻繁に起きてそのたびに多数の人が亡くなっていた。明治に入っても変わらず、死者7万人の関東大震災、死者8万人の東京大空襲が続いた。 ロンドンの大火は1666年9月1日に発生し、3万戸焼失したが死者は数名であった。以降木造建築が禁止され、 空襲にも耐えた。 同じ頃起きた江戸の明暦の大火(振り袖火事)は1657年1月18日に発生し、市街地の大半を焼失して、江戸城天守閣も焼失した。死者は3〜10万人とされる。その対策は広小路の整備や、火消し組織づくりくらいのものであった。 ぐずぐずしているうちに大きな痛みも風化してしまい、忘れた頃の30年後に同様の壊滅的な事態を引き起こし、また同じ反省をしているのだろうか |